暴力とはよく言いますが言葉も凶器です!この罪を加害者は知らない

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わたしは離婚歴があります。

現在、元旦那さんとはたまに連絡する程度で、

ほとんど会っていません。

 

離婚の理由は人それぞれだと思いますが、

今回はわたしの経験を少しお話ししようと思います。

 

 

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出会いから結婚、出産

 

わたしは25歳のときに社内結婚をしました。

 

彼はメーカー社員で、わたしの会社に出向して来ていました。

地元は一緒です。

 

わたしたちの会社は車関係の職場で、敷地内はかなり広く

課も違ったので顔を合わせることはほとんどありませんでした。

 

 

たまたま彼の課に同い年の仲の良い子が入社してきたので、その課の集まりに一緒に行ったりして仲良くなりました。

 

結婚前はケンカもよくしていたと思いますが、結婚してからはそこまで仲がわるいわけでもなく

2人のかわいい子どもたちとわたしたち、家族4人でアパート暮らしをしていました。

 

 

ただ、旦那さんは結婚当初から自分の趣味優先で。

それが悪いとは言いませんが…

 

彼のストレスが少しでも軽くなるならと目を瞑っていました。

たとえそれがお金のかかる趣味やパチンコだとしても。

 

 

プリティとミラクルが幼稚園に入る頃に彼が本社に戻ることになり

一度は隣県に引っ越しましたが、彼の実家の土地に家を建てることになり

4人で地元に戻りました。

 

戻らなかったら…離婚はしていなかったかもです。

 

 

鬼嫁になれたら

 

世の中には鬼嫁って呼ばれる嫁がいます。

もともとわたしはワガママで。性格も優しくはなかったんじゃないかなぁ

 

ですが、義母とは特にゴタゴタさせることはありませんでした。

わたしがまったく言い返さなかったので。

 

義母は思ったことをすぐ口にする人でした。

結婚当初から妊娠中、産後も育児期間もいつもいつも

相手がそれを言葉にしたらどう思うのかを考えずに口にしていました。

 

 

なのでわたしを傷つけたことも、どの言葉で傷ついたのかも

気づいていません。

 

今思えば、一番厄介な性格でしたね。

 

 

さらに過干渉で。わたしの行動をチェックしていました。

 

隣に住んでいるのに、携帯に1日に何度か電話をかけてきたり

繋がらないと家に入って来ました。

 

義母に悪気はなかったのだと思いますが、

わたしにはとても苦痛でした。

 

 

あげくわたしたちの家の合鍵を持っていたので、わたしたちが居ても居なくても勝手に入って来ていました。

 

トイレに入っている時に、トイレの扉前でわたしの名前を叫んでいたり

2階で休んでいる時に階段を上がってきたり

 

掃除機をかけていた時に、「何か音がする」と言いながら入ってきたり…

 

 

とにかく家でゆっくりくつろぐことができませんでした。

 

何をされても、言われても、

嫌だと思うことは言い返さないとダメですね。

 

 

言葉で人を殺せます

 

こんな感じの生活をしていましたが、

ある時わたしが体調を崩し、免疫力が低下していたので検査をしました。

 

結果を何日か待っていたのですが、

旦那さんにこのことを話した時、旦那さんからの言葉で時が止まりました。

 

「免疫力が低下したって、お前エ◯ズじゃん」

 

 

忘れもしません。

 

そんなに軽々しく言える言葉とも思えません。

 

この言葉に対して反論する気力もなく…

 

 

さらに別の体調不良で、不正出血が2ヶ月近く続いたことがありました。

病院に行きたいのですが、出血がひどくて

タンポンも役に立たないほどの日もありました。

 

貧血もあり、一人では病院に行けなかったのです。

 

 

そんな状態を旦那さんから聞いた義母。

寝込んでいるわたしを起こし、どんな状態なのかを聞いて来ました。

 

同じ女性なので理解してくれると思い、出血がひどいことなどを説明すると、

 

 

「子宮が腐ったんじゃない?」

(実際にはもっと酷い意味の方言でした)

 

 

心が壊れる音がしました。

 

心が死にました。

 

 

ここからわたしはメンタルの病気になり、

2年間入退院を繰り返しました。

 

 

離婚の決意

 

離婚は簡単ではありません。

何度か話し合いをしました。

 

変わってくれたようで変わっていない旦那さんを

故意に発した言葉ではないにしろ、わたしは許すことができませんでした。

 

 

何度も「離婚」の2文字は頭をよぎりました。

 

自分の思い通りにならないと、子どものおもちゃを目の前で踏みつけて壊し、わたしにはありませんでしたが、子どもへの暴力もありました。

 

 

自分中心で物事を考えるので、育児はわたしのワンオペ。

 

お仕事が早く終われば家に帰らず、パチンコ。

さらに休日は朝から、ずーっとパチンコ。

 

 

子どもたちは父親がいなくても全然平気でした。

 

わたしたち夫婦の会話も、連絡事項のみメールを送っていました。

 

 

きっかけは、プリティの学費のことでした。

 

振り込みの件でプリティが旦那さんにお願いしたところ、

「あいつがあんな態度取ってるから払わない」

そう言われたプリティは1週間わたしに言えずにいました。

 

 

このことがあった数日前に少し言い合いになっていたので、わたしの態度もいつもより悪かったのかもしれません。

 

 

ただこの言葉で、心を決めることができました。

夫婦のことと子どもの学費は全く違うものです。

 

わたしの態度が悪いから、子どもの学費を払わないのはおかしいと思いました。

 

最後の離婚の話し合いの場には、子どもたちも同席してもらいました。

旦那さんからは、

「誤解がある」と言われましたが、プリティの言葉を信じているわたしは聞きませんでした。

 

 

結婚生活の終わり

 

結婚は大きな決断ですよね。

そして、離婚はもっと大きな決断です。

 

お付き合い中も、夫婦になってからも、形は人によって様々です。

 

 

わたしは、自分が正しいとは思っていません。

 

忍耐力のなさと、彼を父親として育てられなかった。

 

育てられなかったって言う言葉はちょっとおかしいかもですが、わたしも子どもによって母親として育ててもらってます。

 

なので彼も父親としてどうしたら良いのかを、いつもじゃなくてもいいから少し考えてくれたらと。

 

自分が気づけば、時間はかかっても意識して変わることができます。

が、自分が思ってるだけでは相手は変われません。

 

「せめてミラクル(下の子)が高校を卒業するまでは」とか、

 

「子どもたちが社会に出て落ち着くまでは」なども考えました。

 

自分がもっと忍耐力があれば とも思いますが、できませんでした。

実際にはもっといろんなことがありました。

 

 

いろんな夫婦がいます。夫婦の形もいろいろです。

仲の良さそうなご夫婦も見かけます。

 

ただ、何も問題がないかどうかは第三者が見てもわからないですよね。

 

 

今回はわたしの離婚経験を書きました。

もし今現在悩んでる人や離婚を決めた人たちにも、こんな一例があることを伝えられたら嬉しいです。

 

今は離婚歴があっても特に影響ありません。

かえって経験があるからこそ、先のことを考えたりできるようになるかと思います。

 

幸せになりたいですよね。ただそれだけなんですよ。

 

どうか誰もが幸せになりますように。

 

 

 

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