今年はパティの6回目のお盆です。
2019年12月17日午前2時57分
あの時まで、パティはわたしのそばにいました。
早いですね…まだ昨日のことのように覚えています。
少しずつ里親のわたしたち家族を受け入れて理解してくれていたと思っています。
パティのことをいろいろ書いてきましたが、今回はもう一度パティの思い出を書かせてくださいね。
パティが我が家に来た経緯
パティが我が家に来たのは、2012年10月23日でした。
2012年10月21日
わたしはプリティを連れて実家の母のカラオケ大会を観に行きました。
帰宅して晩ご飯を作ろうとしているとき、近所に住む父の友人がうちに来て父の事故を知りました。
当時、父は母と別居をしていて、わたしだけが家族で唯一連絡を取り合っていたんです。
パティとのお散歩のときに交通事故に遭いました。
病院で会った父は意識も朦朧とし、輸血をしていました。重症でした。
帰宅し、当時は結婚していたので旦那さんと子どもたちに父の犬を引取りたいことを話しました。
父はわたしと会うと、パティの話をよくしてくれました。
過去の虐待のことなど、大体のことは理解していました。
かなり可愛がっていたことわかっていたので、わたしはパティのことを真先に考えていました。
あのままパティを引き取らなければ、管理人や元の飼い主家族などに捨てられるか保健所行きがわかっていたのです。
2012年10月22日
父の家に行き、身の回りのものとパティをお迎えに行きました。
初めて会ったパティはわたしをめっちゃ威嚇しました。
抱っこして車に乗せたいのに、思いっきり噛んだりめっちゃ吠えたりで…
パティが狂ってしまうんじゃないかと思いました。
父の家にあったパティのご飯…缶詰とジャーキーを持ってパティと我が家に帰りました。
その日のうちにリク(当時2歳4ヶ月)がお世話になっている病院に検査入院させてもらいました。
10月23日
意識の戻った父から「パティを引き取ってもらえないか?」と改めて言われて。最初からそのつもりでお迎えに行き、いま検査入院していることを話しました。
そこで父から初めて事故当時のことを教えてもらいました。
パティがうんちをしたので処理をしてパティのお尻を拭いているときに後ろから車が来たそうです。なのでパティは直接車と接触をしていないから、見た目外傷はなかったのです。
ただとにかく、
車が急に来たこと、
父が倒れたこと、
びっくりして知り合い(お散歩仲間のMDカレンちゃん)の家にダッシュで逃げたこと、
家に帰ったけど父が帰ってこなかったこと…など、怖くて威嚇してたんだと思います。
不安だし知らない人間の女性に連れられて車に乗せられて、賢い頭でいろんなことを考えていたことでしょう。
その日の夜、病院にパティをお迎えに行きました。
そこで先生から、心臓に雑音があること・白内障が進んでいること・歯がガタガタなこと・年齢はこの時点で9歳は越えてるのでは?(父に聞いたのは7歳でした)ということを言われました。
この日からパティはわたしの家族になりました。
なのでパティのお誕生日は10月23日。本当の年齢は確実にはわかりません。
でもわたしのパティは幾つであろうとわたしのパティです!
パティの生活について
パティはすごく犬らしい犬でした。そしてめっちゃ賢かったです。
当たり前ですが、パティはオスなので足を上げておしっこをします。
マーキングですね…
でも我が家はまだ新しく綺麗でそこらに用を足されるのを旦那さんが気にしていたので、パティには申し訳なかったのですがオムツ生活が始りました。
最初はさすがにご機嫌悪かったです。
オムツを替えるたびに威嚇・抱っこを噛んで拒否…
苦労しました。
素手ではさすがにわたしの手が穴だらけになってしまうので、スキー手袋をしてパティを無理矢理抱っこしていました。
この牙を向く行為、特にわたしにだけされました。
たまに子どもたちに威嚇はしていましたが、噛むことはしませんでした。
(旦那さんには全くなかったです…)
24時間付けているオムツですが、外出して帰ってくるとたまに外れてしまっていました。
パティはオムツが外れると用足しをせず我慢してくれていました。
嬉しくて駆け寄ると威嚇されましたが、わたしに気を遣ってくれるとても賢い子だと思いました。
お散歩が大好きなパティ。
父はパティに首輪を付けていませんでした。
ただし、お散歩は必ずリードを付けて行っていたようです。めっちゃゆるいバンド?みたいなものを首に巻いてリードを付けてお散歩していたようです。
うちではリクとお揃いのパティの首輪を付けました。
いつも威嚇するパティも、リードを持つと人が(犬が)変わってすごく行きたがりました。
リードだけは素直に付けさせてくれたんです。
ただ、モタモタしてると怒られました 笑
歩くのは必ずわたしの左側。
リードは絶対引っ張らず弛んだ状態。
人にも吠えず、自分から寄って挨拶するくらい愛想のある可愛いワンコでした。
(家の中の状態とはぜんぜん違いました!)
なので、「外面の良いパティ」っていつもわたしは言ってました。
ミラクル(下の子)といっしょにお散歩に行くと、何度もミラクルを確認して進みました。
ちょっとでもミラクルが遅かったり見えなくなると、立ち止まって来るまで待っていました。
なぜかミラクルだけ心配する対象だったようです。
わたしの心が固まる人(義母)が近くに来ると、パティは家の中でも大好きな外でも体が固まって動けなくなっていました。(うちに来て2年後くらいの頃です)
車はすごく怖がりました。やっぱり事故のトラウマでしょうか…
車でのお出かけもあまり好きではありませんでした。
父の話では喜んで車に乗って美容院に行く!と聞いてたのですが、車に乗るとめっちゃ震えてわたしの膝に乗りたがりました。
車で行く病院・美容院から帰るとソファで必ずわたしに牙を剥きました。
いつもわたしはパティに怒られてた。
父によく「ちゃんと叱らないとダメだぞ!」って言われてたのですが、手を出すことは絶対出来ず、大きな声を出せばそれ以上の吠え声。
声じゃ負けるので床を叩いてみたけど吠え止まずかわいそうになってしまったので断念。
もうパティさまに逆らうのをやめました…
なので、我が家では全てがパティ基準となりました。
父があげていたパティのご飯は缶詰・おやつはジャーキーと、酒飲みのような食生活をしていたパティの口の中は、歯は茶色く汚れてて口臭もヤバかったです。
去勢をすれば威嚇も少なくなると聞いていたので、パティが我が家に少し慣れた頃去勢手術と歯の掃除をしました。
歯は半分くらいダメで、抜歯をかなりしました。
残った歯もあまり良い状態ではなかったのですが、缶詰よりカリカリの方が歯も汚れないので、小粒のカリカリを食べさせていたのですが、ある日丸飲みしていることに気づきました。
少しふやかしてあげたりしたのですが、ふやかしたご飯は絶対食べませんでした。
もう「じじい扱いするな!」とでも言いたげな感じです。
リクがまだ若い成犬だったのでシニア犬のことがぜんぜんわからず、とにかくパティには手こずりました。
家の中のパティは、部屋がよく見渡せるソファの隅っこにいつも座っていました。
伏せていることも多かったですが、寝てしまうことはなかったです。
これはわたしが家を出る(離婚前の別居)までの3年間、ずっとでした。
ソファなら人間に踏まれることはないですし、わたしたち家族を確認できるからだと思います。
確認…監視だったかもです。
パティの近くで、少しでもパティが理解できない行動をするといきなり威嚇していたんだと思います。
わたしは、離婚をする半年前に家を出ました。
子どもたちとリクとパティは連れて行きました。
離れることなんて考えもしなかったです。
新生活を始めたアパートはとても狭く日当たりも悪く生活も苦しかったですが、あのアパートに行ってからはパティに威嚇されることが激減しました。
怒られることはよくありましたが…
パティとの生活は、特に最初の頃は泣かされてばかりでした。
どうすれば慣れてくれるのか、どうすれば喜んでくれるのか、どうすれば…そんなことばかり考えていました。
引き取った当初は、こんなに苦労するとは思ってもみなかったです。
でもパティの生い立ちを聞くと、そんなにすんなり受け入れることができないのがわかります。
賢いパティだからこそ、ちゃんと理解して少しずつ受け入れてくれていたと思います。
「外面の良いパティ」はずっとでしたけどね!
パティの葬儀でお世話になったお寺
わたしの父はパティが虹の橋を渡る約2年半前に亡くなりました。
あのときは父の亡骸に「パティを連れて行かないでね」って泣きながらお願いしました。
1周忌のときも同じお願いをしました。でも少し覚悟はしていましたけどね。
父はわたしが家出後、パティの生活費を毎月わたしに渡してくれました。
生活が苦しかったので、すごく助かりました。
父が亡くなる5ヶ月前、パティが肺水腫になりました。
すごく悪い状態で、先生からも最期通告されていました。
奇跡の復活をしたパティでしたが、持病で経過観察だった心臓に大きなダメージがありお薬を欠かすことができなくなりました。
父もその頃から体調を崩し、入院費などで出費が大きくなり補助してもらえなくなりました。
わたしの生活がまた苦しくなってしまったので、父がパティを連れて逝ってしまいそうで怖かったのです。
わたしのお願いをきいてくれたのか、パティが父と逝くのをイヤがったのか、ぜんぜん関係ないのかわかりませんが、パティは2019年12月17日午前2時57分までわたしの側にいてくれました。
パティの亡骸、実家の歴代の犬や猫たちを弔うやり方で、斎場に持っていくつもりでいました。
ですが、もうわたしの中でパティの存在は大きく、苦労したのも有りそれはしたくないと思いました。
リクのパパワンと祖母ワンが亡くなった時に個別火葬してもらい、遺骨を持ち帰ったことを聞き、パティもそうできたらいいなぁと数年前から考えていました。
たまたまアパートから歩いて30分くらいのお寺でペットのお葬式と個別火葬をしてくれるお寺があり、そこにお願いをしました。
偶然にも、そこはパパワンたちもお世話になったお寺でした。
パティの葬儀には、リクのパパワンのママさんも参加してくださり、祖母ワン家からもお花が届きました。(祖母ワンは2025年3月に18歳で虹の橋を渡りました)
わたしのお仕事の関係で遅い時間にお式をしましたが、お寺の住職も奥様もすごく優しく素敵な方でした。
住居の方には当時5匹の保護犬・保護猫がいました。保護されたペットしか受け入れていないようです。
すごく感激でした。
考え方や価値観がすごく共感でき、パティが引き合わせてくれた出会いだと思います。
パティのいろんなお話をして、泣いて笑っての1時間半。宗派は違いましたがきちんとお経をあげていただきました。
このお寺の敷地内には合同のお墓もあり、お墓の周りにはいつも綺麗なお花が飾ってあります。何年経っても大切な家族が眠るお墓に皆さん来るそうです。
パティをそこに入れるのか、遺骨をどうするかまではまだ考えてはいませんが、みんな虹の橋を渡ったお友だちなので寂しくないかもしれないなぁとは思いました。
ペットロスに負けないためには‥
パティが居なくなって、最初はやるだけのことはやったのだから後悔しないんだろうなぁって思ってたのですが、
日が経つにつれ居ないことをどんどん実感し、いつも当たり前にパティのお世話をしていた日常が違ってしまい生活リズムが崩れました。
後悔の波はどんどん大きくなって、悲しみに負けてしまっていました。
パソコンも触れなくて、心にポッカリ穴が空いてしまっています…
ですが、いつまでもこのままだと賢いパティはわたしを心配して安心できないと思うので、ブログは再開しようと思います。
わたしのペットロスは6年もかかってますが、まだ明けていません。
パティが教えてくれた里親の難しさや楽しさ、老犬の可愛さや魅力、パティといっしょにしたいろんな経験はいつか誰かの役に立つかもしれないから。
パティのことは話題が尽きないくらいいっぱい話してしまいますが、パティのような経験を他のわんこやにゃんこ・うさちゃんも小動物たちにもして欲しくないです。
わたしがした経験はほんの一部で、まだまだ救いを待ってる子がたくさんいます!
里親になることが不安にならないように、里親の楽しさも介護の楽しさも伝えていけたらいいなぁ。
更新はゆっくりですが、いろんなことを発信していけるよう頑張ります!
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